足利基氏関連エントリー

足利基氏館

城名:足利基氏館 別名:足利基氏塁・足利基氏陣城・岩殿山陣城 城主:足利基氏 住所:埼玉県東松山市岩殿 遺構:土塁・空堀 東武東上線高坂駅西口を、そのまま西方面に向かいます。大東文化大学 ...

足利基氏館

初代鎌倉公方 足利基氏

... 足利基氏は、関八州と伊豆・甲斐を統括する室町幕府の出先機関・鎌倉府の初代長官、いわゆる鎌倉公方になった人物です。(1340~1367) 尊氏を父に正室赤橋氏を母に嫡流として生まれた基氏は、同腹の兄義詮とは十歳離れていました。 ...

初代鎌倉公方 足利基氏

鎌倉の紅葉 (2008/11/30)

... 尊氏没後第4子の足利基氏が父の菩提を弔うため、七堂伽藍を備えた堂宇を建立したとあったが、ご本尊の釈迦如来から本堂・方丈など、すべてが新しく見えた。裏山に尊氏の墓所あり、遺髪を埋葬したとある。下の写真は、長寿寺の観音堂裏の真っ赤な紅葉。 ...

鎌倉の紅葉 (2008/11/30)

2008・鎌倉紅葉(長寿寺)

... (お寺でいただいたパンフレットにはそう書いてありました)臨済宗建長寺塔頭寺院で、関東管領「足利基氏」が、父「尊氏」の没後に父の菩提を弔う為に尊氏邸跡に創建され、当時の規模は七堂伽藍を備え、関東諸山第一の寺であったそうです。 ...

2008・鎌倉紅葉(長寿寺)

修善寺・修禅寺の紅葉

... 南北朝時代の康安元年(1361年)になって畠山国清と足利基氏との戦禍を受け、 応永9年(1402年)には火災を蒙り、永徳元年(1489年)に至り、韮山城主の 北条早雲が外護者として再興し ...

修善寺・修禅寺の紅葉

足利基氏とは?

足利 基氏(あしかが もとうじ、暦応3年/興国元年3月5日 (旧暦) 3月5日(1340年4月2日) - 貞治6年/正平22年4月26日 (旧暦) 4月26日(1367年5月25日))は、室町幕府初代鎌倉公方である。足利尊氏の次男、母は赤橋登子。正室は畠山家国の娘。幼名は亀若丸。
足利家の内紛から発展した観応の擾乱が起こると、父の尊氏は鎌倉にいた長男である足利義詮 義詮に次期将軍として政務を担当させるため京都へ呼び戻し、1349年(貞和5年/正平4年)に次男である基氏を鎌倉公方として下し、鎌倉府として機能させる。基氏は南朝方の新田義興を滅ぼす。また、1361年には執事として基氏を補佐していた畠山国清の罷免を求められ、抵抗した国清を討つ。後任には一時高師有を用い、その後上杉憲顕を管領に復帰させて上野・越後の守護として関東における足利家の勢力を固める。1367年に死去、享年28。

足利基氏の詳細